2011年3月11日
2011年3月11日。私はオフィスで「その瞬間」を迎えた。私にとっての「東日本大震災」が始まった。
揺れの最中、岡山の実家に住む母に、父の実家である宮城県の大崎市に住む叔父夫婦に連絡を取るように伝え(叔父夫婦とはその時以降数日電話が繋がらなかった)、NHKのTwitter担当者の英断で解放されたUstream中継を通して、三陸海岸に到達する津波を「これはマズい。絶対にマズい」と何度もつぶやきながら見つめることしかできなかった。
2011年3月11日。私はオフィスで「その瞬間」を迎えた。私にとっての「東日本大震災」が始まった。
揺れの最中、岡山の実家に住む母に、父の実家である宮城県の大崎市に住む叔父夫婦に連絡を取るように伝え(叔父夫婦とはその時以降数日電話が繋がらなかった)、NHKのTwitter担当者の英断で解放されたUstream中継を通して、三陸海岸に到達する津波を「これはマズい。絶対にマズい」と何度もつぶやきながら見つめることしかできなかった。
ボランティアの中ではその名が知られる「スコップ団」に連休を利用して2日間参加してきた。
Continue reading 東日本大震災 ボランティア活動の記録@ スコップ団(宮城県山元町) 2012.1.7-8
小学校の校庭にあることで何度かメディアにも取り上げられた久之浜の仮設商店街「浜風商店街」。その浜風商店街主催によるハロウィン・イベントのお手伝いが、今回のボランティア活動内容。
この日は、東松島市の宮戸地区、景勝地松島の東の位置し「奥松島」と呼ばれる海岸での漁業復興支援を担当した。海苔養殖を営む地元の漁師さんの養殖網を海に入れるために、道具の作成とそれに関連した準備作業が主な作業内容となった。
これまでガレキ撤去などの復旧活動は数多く経験してきたが、生活再建のための復興支援に直接関わるのは初めての体験であり、私にとっても非常に興味深い体験となった。(※始めにお断りしておくとカメラを忘れてしまい解像度の低いiPodでなんとか撮影した写真のみになります。)
今回は初めて災害ボランティアに参加した際のツアー「東京と岩手を繋ごう」企画のボランティアツアーで岩手県の山田町へ1泊3日の日程で参加してきた。ツアーの構成は「山田町での災害ボランティア活動」と震災後の観光客減に苦しむ「岩泉町の龍泉洞エリアを観光支援」という構成だ。
福島県いわき市久之浜のGWから8/27の奉奠祭花火大会までの現地の状況を、写真で比較してみることにした。
崩れ落ちた塀など「これどうやって片付けるんだ?」と頭を抱えた状態の水路。
左側の敷地も更地になったが見事な状態までに回復している。ただ左側の民家の壁はいつ崩壊してもおかしくない。
1997年9月23日。ボスニア紛争停戦の約2年後、戦争の爪痕がまだ深く残る「廃墟」サラエヴォの地で、U2はPOP Mart Tour の一環としてライブを開催した。POP Mart Tour は堕落した消費社会の象徴をテーマとしたマクドナルドの黄金のアーチを模したステージが目玉のツアーであった。
つまり、数多くの犠牲者を産み厳粛な雰囲気を求められるはずのこの土地に、最も相応しくないライブだった。その上、たしか無料のチャリティーライブではなく、(非常に低価格に設定されてはいるが)有料ライブだったと記憶している。
だが、サラエヴォの市民はこれを歓迎した。なぜならそれこそが彼らの求める「日常」だったからだ。
これまでツアーや個人ボランティアに1人で参加していたが、ようやく9回目にして念願かなって知人5名を連れてボランティアに行くことができた。
活動場所に選んだのは宮城県亘理郡山元町。帰りのアクセスを最優先にこの場所に決めたのだがこれが大正解。メンバー6人全員が満足する有意義なボランティアの旅となった。
これまで過去に7回災害ボランティアに参加してきたが、いずれもボランティア・ツアーを始めとする団体での参加だったこともあり、ものは試しということで個人ボランティアとして福島県のいわき市に行ってきた。