David Bowie’s Last Photo Shoot Before His Death https://t.co/KOlCDzMZ4V
Photos by Jimmy King © pic.twitter.com/3tAkIH5Faq
— Salvador San Vicente (@SSVphotographer) 2016, 1月 24
2016年1月10日、世界はデヴィットボウイを失った。
自分にとってデヴィットボウイは最も敬愛するアーティストである。だから、私は未だに現実として受け止められない、もしくは、「ラザロ(Razarus)」の様に蘇るのではないか?と現実逃避をしてしまう。
ボウイの功績を説明するのは非常に難しいが、自分の考えを最も代弁してくれたのは田中宗一郎さんのツイートである。
ボウイは音楽家としても役者としてもあらゆるジャンルにおいて才能に恵まれた人ではなかった。良くも悪くも、かつての盟友だったボランのような本物ではなくフェイクだった。でもだからこそ、唯一無二の存在だった。そして常に研ぎ澄まされた知性と革新的なアイデアで誰も作り得ないものを作り続けた。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2016, 1月 12
ボウイには明らかに才能が無かった。例えば、ビートルズ、ビーチボーイズ、クイーン、レッドツェッペリンなど同世代の「天才」たちと比較して「ボウイは稀代のミュージシャンだったか?」と聞かれてもその答えは「NO」だ。
キースリチャーズに「見せかけだけだね。気取ってやがるんだ。音楽と呼ぶには程遠い。彼自身も自覚してるさ」とコケ下ろされていたが、全く私は腹が立たなかった。事実そうだから。
ではボウイの何が凄かったのか?端的に言えば「変化を恐れなかった」ことだ。
成功者であればあるほど変化を恐れる。日本では、成功したアーティストが自身のルーツミュージックのエッセンスを取り入れるだけで「ファンを置き去りにした」「つまらなくなった」「難解だ」と大変な騒ぎになる。前作の音楽性の延長にあるにも関わらずだ。
Happy Birthday David Bowie! @DavidBowieReal http://t.co/QshLkAMfrc pic.twitter.com/L7t18DzRjZ
— Helen Green (@Helengreeen) 2015, 1月 8
だがボウイは、70年代のジギースターダストからベルリン時代に至るまでの約10年、ほぼ毎年アルバムをリリースしているが、ほぼ2~3作で音楽のジャンルを変えた。フォークからはじまり、グラムロック、ストーンズ風ロック、ファンクR&B、テクノ/アンビエントミュージックと何度もファンを置き去りにする「チェンジ」を繰り返した。
これは現代では「革新的」と評されるが、私は「流行の先端という勝ち馬に乗ること」とそれに対する不安と焦りがボウイを突き動かしていたと思う。悪く言えば「ミーハー」、しかし、それを最後まで徹底させ、偽物が本物を凌駕し続けた。おそらくあの時代彼は「止まったら死ぬ」と思っていたのかもしれない。
例えば、ボウイは各時代でこの様に自らの作品に他アーティストからインスパイアを受けている。というかパクっている。
- デビュー期「Space Oddity 」→ボブディラン
- グラム期「Hunky Dory」「Ziggy Stardust」→マークボラン
- 「Diamond Dogs 」特に「Rebel Rebel」→ローリングストーンズ
- 「Low」→ブライアンイーノ「Another Green World」
- 「Let’s Dance」→シック(ナイルロジャース、バーナードエドワーズ)
- 「Outside」→ナインインチネイルズ
- 「Earthling」→プロディジー、ゴールディ
ミックジャガーには「デヴィッドの前では 新しい靴は履かないよ だって次の日にはその靴を履いた彼が現れかねないからね」と評されたが、パクるだけでなく、ブライアンイーノやナイルロジャース、そしてナインインチネイルズのトレントレズナーなど、自らの作品に参加させることで取り込んでしまうほど貪欲で躊躇がなかった。そして、それを自転車のペダルをこぎ続けるように全力を尽くしたことで、いつしかボウイの音楽はオリジナルになった。
21世紀に入り「heathen」、「Reality」で自らのアイデンティティを省みるモードに入ったのか、そうしたボウイの「焦燥」は弱まり、また、アーケイドファイアやジェームスマーフィー、TV On The Radioなどのボウイフォロワーを公言するアーティストが時代を制したためか、ボウイの肩の力が抜け親しみ易くなった。
そして2013年の「The Next Day」は67歳のアーティストのものとは思えないほどの充実ぶりで、ボウイへの愛が深い人ほどその喜びは大きかっただろう。
遺作となった「Blackstar」に関しては、ボウイの長年のファンは世間で言われているほど「攻めている作品」とは感じない。
演奏はジャズミュージシャンの実力派を揃え新しいチャレンジをしているが、曲に関してはボウイ節、悪く言えば「手癖で書いている」曲が目立つ。
表題曲「Blackstar」は、TVドラマ『The Last Panthers』用に用意された曲にいくつかのパートを繋げて「ボヘミアンラプソディ」や「パラノイアアンドロイド」の様な楽曲にしている。かつてのボウイでは考えられない手法の様に思う。
あえてやったことなのか、時間がそれを許さなかったのか、今となってはそんなことどうでも良いが、トニーヴィスコンティから明かされた「Blackstarはボウイからの餞別」と言う言葉を信じるなら、それは本当に納得できるし、子供がプレゼントを楽しむように何度も何度も愛しみながらこの作品に触れることができることは間違いない。
ボウイが去った後、怒濤のように知られざるエピソードや秘蔵音源や映像がネット上に洪水のようにあふれ出ている。
二十数年ボウイのファンをやってきて、同世代のボウイのファンに出会うことはまず無く、孤独を感じた時も多かった。だが、ネットが普及し特に近年BuzzfeedやRollingston誌のオンライン版で、ボウイの生前、彼に関する記事を目の当たりにし、本当にボウイが多くの人に尊敬され愛されていることを実感した。例えば「ボウイのマイナーな名曲10選」といった特集で紹介されるリストはいつも完璧で、実は「You are not alone.」だったんだな、と感じることが多かった。
余談が過ぎたが、つまり彼の死すら彼が好んだ時代の先端を走る、いかにもネット時代に適応させたものだったと感じてならない。と同時にそれはボウイ自身の最後のプロデュース作でもある。
デヴィッドボウイ、あなたのおかげで自分の人生は豊かなものなりました。いろんなものが見え聞こえる人生になりました。こころから感謝しています。
追伸
もし、ボウイを聞くなら「リアリティ・ツアー Live」のCDが選曲もよく、初期の曲も現代風にアレンジされているのでお勧めだったのですが販売終了してますね。無難にベストアルバムから入って良いと思います。ちなみに自分は「Station to Station」と「Hunky Dory」がベストです。