東日本大震災 ボランティア活動の記録@宮城県東松島市宮戸地区 2011.10.2

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この日は、東松島市の宮戸地区、景勝地松島の東の位置し「奥松島」と呼ばれる海岸での漁業復興支援を担当した。海苔養殖を営む地元の漁師さんの養殖網を海に入れるために、道具の作成とそれに関連した準備作業が主な作業内容となった。

これまでガレキ撤去などの復旧活動は数多く経験してきたが、生活再建のための復興支援に直接関わるのは初めての体験であり、私にとっても非常に興味深い体験となった。(※始めにお断りしておくとカメラを忘れてしまい解像度の低いiPodでなんとか撮影した写真のみになります。)


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この日お手伝いしたノリ養殖を営む漁師尾形文秀さんたちは、当初今年の養殖を完全に諦めていた。しかし、ボランティアの頑張りなどによってガレキ撤去が進み環境が徐々に改善するにつれ仕事に対するモチベーションが生まれ、6月になって今年もノリ養殖を行うことを決意したそうだ。

ようやく立ち上がった尾形さんたちであったが、沖で管理していた養殖網などの仕掛けや、複数の種類で最低5艇は必要な小型漁船のうちのほとんどをすべて津波に流されてしまっていた。

不幸中の幸いで小型船1つと陸にある海苔の乾燥設備と不純物を取り除く濾過設備はかろうじて無事だったこともあって、なんとか「もう一度やろう!」という気持ちが生まれたそうだ。

とはいえ沖に流されてしまった仕事道具の被害額は数千万に上るもので、そしてゼロから海苔養殖業を再興するには到底1人では出来なかったため、他の生産者と異例ともいう形でタッグを組み、2人の漁師とその家族たちで約1,100枚の養殖網を奥松島の海に仕掛けることを実現した。(ちなみにタッグを組んだ生産者の方は文字通り全ての設備を津波に流されてしまったらしい)

ちなみに、新たに購入した養殖網は、県の漁業復興支援策の一環で7~8割ほど県が補償してくれるらしいのだが、「とにかく1日も早く海苔を収穫したい」という強い想いもあり、尾形さんたちは補償金の申請やら審査やらを到底待っていられなかった。

その結果、自己資金と銀行からの融資のみで見切り発車をして、そこまでして海苔養殖の再興を実現しようとしていた。

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そうして立ち上がった尾形さんたちだったが、今度は思わぬ障害が立ちはだかる。養殖網の部材の生産が間に合わないのだ。

そもそも一度に大量のオーダーが入る商品でもなく在庫がふんだんに用意されていなかった上に、このエリア全ての漁業者の設備が津波によって流されてしまったため、深刻な部材の供給不足に陥ってしまい尾形さんたちの復興のスピードを鈍らせることになった。

そうしたところへ私たちボランティアが、本当に役に立っているかどうか分からないのだが、お手伝いさせていただくことによって、なんとか11月に最初の収穫ができるところまで目処が立ったそうだ。

尾形さんはそのことを少しずつ私たちに話してくださり、その度に「だから。本当にありがたい」と何度もボランティアたちにお礼の言葉を掛けてくださった。

作業終了後、尾形さんはこの日作業に参加したボランティア全員の連絡先を知りたがった。理由は最初に収穫できた海苔を感謝の気持ちを込めて私たちに送るためだ。

こうした場面には災害ボランティア活動を通して何度も遭遇してきたが、今回もとても美しい経験をすることが出来たと思う。

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さて。以上が表向きの説明で、具体的な作業説明になると途端に様子は一変する。

この日私(ともう1人)は、いわば尾形さんの「1日体験弟子」が与えられた役割になった。尾形さんの気の向くままに繰り出されるオーダーに応えていくという形で作業が進められるのだが、尾形さんはかなり気まぐれなところがあり、その上「かあちゃん」からの強制リクエストが入ると私たちを置いてどこかに消えてしまい、私たちは尾形さんの帰りを待つ他なく、開き直って奥松島の景色を飽きるほど堪能することになった。(実際には飽きることが無い程見事な景観だったが)

一生懸命養殖網の道具の作成に追われている他のメンバーに申し訳ないと詫びながら、結果的にかなりのんびりとした作業になった。

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その上、別の岸に別の道具を取りに行く際に、尾形さんの運転で奥松島湾内を舞台に高速クルージングをしたり、尾形さんを待つ間、水面をジャンプする魚を目で追ったり、岸壁を動き回るカニやヤドカリをぼんやり眺めたり、ボランティア作業とは到底思えない、どうみてもレジャーとして来た「漁業体験ワークショップ」と表現する他ない作業内容となってしまった。

それでも半分以上の時間は、尾形さんが沖に流されて船で拾い集めたロープや浮きなどの道具を仮置きしていた洋上の小型艇の上から陸に移し替えたり、それをさらに仕分けて整理したりという、ボランティア作業らしい作業もしたことを言い訳がましく付け加えておきたい。

これまではガレキ除去中心とした復旧作業が主だったが、地元の方と一緒になって、短い時間だったが同じゴールを思い描きながら共に復興に向けて歩めたのは自分にとって非常に貴重な経験となった。

そして何より、こうした地元の方々の想いが復興のスピードを加速させていくことを実際に見ることができて本当に良かった。

そして、「だから。本当にありがたい」、尾形さんの声は今も頭の中から離れない。