東日本大震災の記録(その1)

Posted in 東日本大震災 on 1月 22nd, 2012 by atsushis – コメントは受け付けていません。

2011年3月11日

2011年3月11日。私はオフィスで「その瞬間」を迎えた。私にとっての「東日本大震災」が始まった。

日経の緊急表示エリアは2段階。

揺れの最中、岡山の実家に住む母に、父の実家である宮城県の大崎市に住む叔父夫婦に連絡を取るように伝え(叔父夫婦とはその時以降数日電話が繋がらなかった)、NHKのTwitter担当者の英断で解放されたUstream中継を通して、三陸海岸に到達する津波を「これはマズい。絶対にマズい」と何度もつぶやきながら見つめることしかできなかった。

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夜になっても交通マヒの状況は変わらず、結局その日は帰宅難民となってしまい、検討の結果自宅まで約40キロの道のりを徒歩で帰ることにした。

八重洲口付近の古いビルの窓ガラスや壁面タイルの落下に怯えながら、同じように徒歩で帰宅を試みるサラリーマンの波に流されながら自宅を目指した。結果、途中からバスとタクシーを乗り継ぐことができ、11日中に自宅に戻ることができたのは幸運だった。

自宅に戻るとCDラックが倒れていた。これを元通りにするだけで半日以上かかった。そしてテレビを付けると気仙沼が燃えていた。「海が燃えている」と現地でレポーターが叫んでいた。

余震、放射性物質、計画停電

震災後しばらくは自宅待機になったこともあり、福島第一原子力発電所の事故関連の情報をひたすら集める日々が続いた。

Googleの取り組みに感動する反面、本当に欲しい「自宅圏3キロの情報」が手に入らず、中央発信型のウェブサービスの課題を痛感した。そして、Twitterに次々とスターが現れ、自治体も公式Twitterを立ち上げ、Twitterが急速に社会のハブと化して大いに驚かされた。あとは、相変わらず(使い手を選ぶが)2ちゃんねる、およびそのまとめサイトは貴重な情報源として機能した。

エスカレーター停止中@柏の葉キャンパス

また、自宅の暖房器具は電気を使うオイルヒーターしか無かった為、節電が過ぎて風邪をひいてしまったり、「計画停電」のたびにポットにお湯を貯めたり、おにぎりなど作り置きの食事を用意しておくなど対応に追われていた。結局1度も停電になることはなかったが。

また、普段からラジオ(ポッドキャスト)中心に生活していたことが奏功し、ラジオ×ネットでかなり効率的に情報を得ることができた。

ラジオでの久米宏の現地からの声を吸い上げ、それを瞬時に咀嚼・再加工して伝える神業に興奮し、日曜天国の安住アナのエピソードには心が救われた。

中でも、TBSラジオ「Dig」での神保哲生氏、崎山敏也記者による情報の定点観測的取得は、自分にとって最も欠かすことができない情報源だった。

東北へ

そうこうして3月が終わり、4月に入るころから再び仕事が通常モードに戻った。

ただやはり、誰もがそうであったように、大きな不安に半身を冒された状態で仕事をこなしていた。そんな中で募金をして物資も送ったが、阪神淡路大震災時に募金以外何もしなかった後悔から、何とか現地の手助けになりたい、マスメディアのキャパシティを超えたこの震災の「姿」を自分なりに把握しておきたいという気持ちが高ぶり続けていた。

そして、GWにボランティアに行くことに決めた。初めての災害ボランティア活動ということもあり、勝手が分からず不安だった為ツアーを利用することにした。

だが、肝心のツアーがどれも満席で申し込むことができない。そして、「被災地では個人ボランティアの受け入れを見送ることにした」という報道が流れたことで、さらに申込手続きは困難を極めた。

しかし、東京ボランティアセンターの運営する「ボラ市民ウェブ」というサイトにひょこっと表れたツアーに運良く申し込むことができ、私の災害ボランティア活動歴がスタートした。

4/30~5/2 岩手県釜石

初めてのツアーは、2泊3日の行程での岩手県釜石市での活動を目的としたツアー(ツアーに関する詳細なブログ記事)。4月30日(土)の朝、集合場所である東京駅鍛治屋町駐車場に停車するバスに参加者達は集まった。

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花巻温泉にある「幸迎館」という高級温泉宿が主催するツアーと思って参加したが、東京在住の女性個人で催されたツアーであった。幸迎館は前年旅行で花巻温泉を訪れた際に「次に利用するならここ」と決めていた宿だったこともあり、何とも運命めいたものを感じながら東北へと向うバスに乗り込んだ。

東北道は自衛隊の車輌が多く、どの車もスピード違反や無理な追い越しは決してしなかった。外から表情は見えないが、おそらく誰もが緊張と使命感に帯びた表情をしていただろう。

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そして、初めての「被災地」との対峙。どうだったかと言えば、私は現実のものとして受け止められなかった。町中に漂う魚介類の腐臭。新日鉄釜石の駐車場に十数メートルの高さに積み上げられたガレキ。そして町中に「敷き詰められた」生々しい濡れた瓦礫と呼ばれる人々の生活の跡。

ボランティア活動の内容は、釜石市内の「かっし川」の河原の清掃作業。ハードなヘドロの掻き出し作業などを想像していた身としては、少し拍子抜けしたが、蛆虫がうごめく魚や鳥の死骸をいくつも処理したりと、今思えば肉体より精神面でハードな体験をしていた。活動後のビールが本当においしかった。

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「被災地」を体験でき、極微力ながら現地に貢献できたこと以上に、このツアーを通して素晴らしい方々と出会えたことをが何よりの収穫だった。彼らと出会って半年以上経つが、当時はこれほど濃い関係が継続するとは予想もしなかった。

おなじ時期に、同じ位被災地のことを真剣に考え、何かしなければならないと焦燥感に駆られ自ら足を運ぶことを決断し、過酷で濃密な時間を共にしたことを考えれば、それは不思議なことではないのかもしれないが。

東日本大震災 ボランティア活動の記録@ スコップ団(宮城県山元町) 2012.1.7-8

Posted in 東日本大震災 on 1月 10th, 2012 by atsushis – コメントは受け付けていません。

20120107-08 スコップ団

ボランティアの中ではその名が知られる「スコップ団」に連休を利用して2日間参加してきた。

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東日本大震災 ボランティア活動の記録@宮城県南三陸町 2011.12.10

Posted in 東日本大震災 on 12月 16th, 2011 by atsushis – Be the first to comment

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「被災地復旧」と「被災地復興」。この2つが交差する南三陸町で漁業支援をお手伝いしてきた。

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福島県いわき市久之浜 浜風商店街ハロウィン・イベント 2011.10.29

Posted in 東日本大震災 on 11月 3rd, 2011 by atsushis – コメントは受け付けていません。

2011.10.29 久之浜 浜風商店街ハロウィン

小学校の校庭にあることで何度かメディアにも取り上げられた久之浜の仮設商店街「浜風商店街」。その浜風商店街主催によるハロウィン・イベントのお手伝いが、今回のボランティア活動内容。

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J2:第32節 栃木 vs 千葉

Posted in ジェフ千葉 on 10月 24th, 2011 by atsushis – Be the first to comment

10月23日(日) 2011 J2リーグ戦 第32節
栃木 0 – 0 千葉 (17:03/栃木グ/5,998人)

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試合2日前の10/21(金)にドワイト監督の劇的解任が発表され、たった2日間の練習で神戸新体制はこの日の試合を迎えた。表向きの発表では「神戸監督」だが、実質的にはB級ライセンスしか持たない前U18コーチの菅原コーチが試合の指揮を執っている、いわば「菅原体制」の出発だ。

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東日本大震災 ボランティア活動の記録@宮城県東松島市宮戸地区 2011.10.2

Posted in 東日本大震災 on 10月 4th, 2011 by atsushis – コメントは受け付けていません。

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この日は、東松島市の宮戸地区、景勝地松島の東の位置し「奥松島」と呼ばれる海岸での漁業復興支援を担当した。海苔養殖を営む地元の漁師さんの養殖網を海に入れるために、道具の作成とそれに関連した準備作業が主な作業内容となった。

これまでガレキ撤去などの復旧活動は数多く経験してきたが、生活再建のための復興支援に直接関わるのは初めての体験であり、私にとっても非常に興味深い体験となった。(※始めにお断りしておくとカメラを忘れてしまい解像度の低いiPodでなんとか撮影した写真のみになります。)

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早野商店の食用ほおずき「ほおずきんちゃん」

Posted in 旅・お出かけ on 9月 30th, 2011 by atsushis – Be the first to comment

食用ほおずき 早野商店

日本三大鍾乳洞の1つ「龍泉洞」のある岩手県岩泉町で、食用ほおずきの栽培をゼロから始め町を代表する名産品に育てた早野商店さん食用ほおずき「ほおずきんちゃん」
「ほおずき」と聞くと、まず観賞用のほおずきを想像しますが、れっきとした食用の植物です。

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