小学校の校庭にあることで何度かメディアにも取り上げられた久之浜の仮設商店街「浜風商店街」。その浜風商店街主催によるハロウィン・イベントのお手伝いが、今回のボランティア活動内容。
震災後、久之浜の年配の方、特にこの浜風商店街の人たちは声をそろえて「街に子どもの声が聞こえない」と口にする。「(震災後、)以前は波の音しか聞こえなかった。常磐線が復旧してようやく電車の音も聞こえてくるようになった。だが、子ども達が道を駆け回る声や音が聞こえない。だからさびしい」と。
久之浜の子どもたちは外に出ることができない。彼ら・彼女らの親がそれを止めるからだ。「外に出るな」、「外で遊ぶな」、「水道水を飲むな」、「あれを食べるな、これも食べるな」と。
「テレビを見るな!勉強しろ!」ならまだしも、子どもたちは様々な形で大人たちから禁止事項を言い渡される。そうして街からは子どもたちの声が消えた。
そうした子どもたちが外に出るきっかけを、たまにでもいいから提供したいという浜風商店街の方々の想いが、このハロウィン・イベントを実現させた。
イベント当日、浜風商店街のお世辞にも広いと言えない路地は、ハロウィンの衣装に身を包んだ子どもたちであふれていた。目に入った大人たちに片っ端から「とりっく・おあ・とリーと」と意味もわからずに声を掛け、お菓子を手にしようとする子どもたち。
ルービーズジャパン様のご厚意で提供いただいた様々なハロウィン衣装を何着も「お色直し」して、様々なキャラクターに変身する子供たち。
この衣装には本当に助けられたのだが、すべての子供たちがこの「変身」を楽しんでくれたのは本当にうれしかった。最後に1着だけ好きな衣装をプレゼントしたのだが、翌日もこの衣装を着ていた子どもがいたという話を聞いてその喜びはさらに大きくなった。
しかし、子どもたちってやつは、
やたら暴力的で(特に女子)。
「手加減」や「容赦」という言葉を知らなくて。
悪いことがしたくて仕方なくて。
そのくせまぬけで。素直で従順で。
残念ながら本人達が思っている以上に幼くて。
まだまだ無邪気に笑うことができて
大人が忘れた屈託のない笑顔を持っていて。
無垢で。純真で。
そして彼らは小さな大人。
原発事故の現場から約30キロのこの場所で、原発事故という非日常の環境下にあって、ハロウィンという非日常に身を置くことで、自らの日常の1コマを手にするという、何とも皮肉な光景が私の眼前で繰り広げられていた。
その原因を作り出したのは決して子どもたちではない。正直なところ子どもたちがかつての日常を取り戻すには、彼らが大人になるまでの年月が必要になるだろう。
正直なところ私は、半減期2年のセシウム134の影響が小さくなるまでの最低4年間は、子どもたちは0.1マイクロシーベルト毎時以下の土地で暮らすべきだと考えている。だから、この日のボランティア活動は、自分にとってベストな形ではないかもしれない。
だけど、「自分たちの故郷は東京に切り捨てられた」と感じてもおかしくない久之浜の皆さんに、顔を見せるだけでできる支援を提供できているならば、それはそれで悪いことじゃないんじゃないかと思う。