東日本大震災 ボランティア活動の記録@いわき市久ノ浜 2011.7.16

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

これまで過去に7回災害ボランティアに参加してきたが、いずれもボランティア・ツアーを始めとする団体での参加だったこともあり、ものは試しということで個人ボランティアとして福島県のいわき市に行ってきた。

いわき市災害ボランティアセンターのあるいわき市社会福祉協議会の建物の外は、受付開始時間の午前9時前だというのに、100名近くのボランティア希望者が列をなしていた。


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出遅れたことに少し焦りを覚えながら、まずは受付ということで、「初回」、「2回目以降」と別れた案内に従い、個人ボランティアは初回なので素直に初回受付の列に並んだ(ちなみにいわき市での活動は今回で3回目)。

住所・氏名を記入しボランティア保険カードをスタッフに掲げ受付を終了した後、オリエンテーションが行われているという社会福祉協議会の建物の5階へと移動した。5階の大会議室内ではボランティアたちが集められ、初回参加者には災害ボランティア活動に関する説明会を開き、全てのボランティアを対象として本日の作業のグループ分けを行っていた。

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

個人ボランティアとしては初めてだが、災害ボランティア活動としてはそれなりの経験があるので説明会への参加は見送り、グループ分けのエリアへと足を向けた。パイプイスが60個ほどは並べられ、1番奥のブロックの20脚のイスの背には「車を出してくださる方の席です」と書かれていたので、(この日は車で来ていたので)このパイプイスに座ることにした。

しかし、グループ分けのスタッフの段取りがあまりよくなく、通常優先して決まるはずだが10分以上待ってもこちら側に仕事を割り振る気配がない。
しかもその上、スタッフの「この作業に参加したい方」という呼びかけに対して、挙手した人たちの中から車を出す人を決めるというやり取りを見てしまったので、GWに活動した久ノ浜での募集に急いで挙手して、この日の作業を確保した。

後から聞いた話では、9時の遅い時間でその日のグループ分けが全て終わってしまい、作業を割り当てられずに帰路につく人もいるという話なので、この判断は正しかったように思う。

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

3台の車に分乗し道に迷いながらも30分ほどで目的地の久ノ浜に到着。

この日の作業は、倉庫として使っていた納屋を壊すために中の遺留品や瓦礫を全て運び出して処分する作業と、あまった時間で近くの瓦礫が小高く詰まれた土地を駐車場として使用するための地ならしという2つの作業が割り当てられた。

納屋には、持ち主が教職員だったことがうかがい知れる古本や衣類、昭和40年代ごろの家電、そして絵画が趣味だったのか数多くのキャンバスや絵の具などの道具が数多く入っていた。

それに加え、年賀状、写真そして香典袋など、いくつもの人生がここに存在したことを痛いほど思い知らされる品々が、この納屋にはあった。「遺品の処分」という簡単に記号化された言葉ではなく、他人の人生をこの世から消してしまっているようで非常に胸が痛む作業となった。

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

回収した品々は全て土のう袋が20袋は入りそうな大きな袋に入れるのだが、袋一杯に中身を詰めると数人掛りでも動かすのは至難の業となる。しかし、この日は重機との共同作業になった為、重機がこの袋を持ち上げトラックへ乗せるので、ボランティア達はこの袋を移動させる必要がなかった。

重機は、私たちが数時間掛けて詰め込んだものを軽々と持ち上げトラックへと乗せていく。普段自分の生活とは遠い存在だった重機がこれ程頼もしく見えた日はない。まるで(ハリウッドの映画の中で)戦車と行軍している歩兵の気分だった。

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

約2ヶ月ぶりに訪れた久ノ浜だったが、予想に反して異臭とハエはほぼ発生していなかったものの、悪い予想が当たり全く復興が進捗していないという印象を受けてしまった。

自宅に戻ってから5月の頃の写真と見比べると、細かな瓦礫が広範囲にわたって綺麗に取り除かれていたりと、明らかに復旧作業は進んでいるのだが、過去に訪れた石巻や気仙沼小泉地区と比較すると圧倒的に復興のスピードは遅かった。

しかし、この日体験したように重機を操る地元の建設会社や産廃業者とボランティアが共同して作業を進めていくことで、この2ヶ月よりもさらにスピードアップして復旧が進んで行くことは間違いないので、少し安心して帰路につくことができた。

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

何より今回の活動で1番目心に残ったのは、復興・復旧作業が地元の方々の日常の一部になっていたことだ。

この日はこの地区の現場責任者である久ノ浜 諏訪神社禰宜(ねぎ)の高木さんを中心とした「北いわき再生発展プロジェクト」のメンバーと会話することができたが、彼らは津波による絶望や無気力に苛まれることなく、能動的にしかもリラックスして復旧作業に当たっていた。

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

前回訪れた時にはなかった瓦礫の壁に描かれた花の絵は、彼らの発案でスタートした取り組みだった。「朝起きて、窓を開けてもいっつもうんざり。でも今は楽しみができた」と地元の方から声が上がるほど好評を博しており、今では6軒の解体予定の民家等の壁に花が咲いている。

彼らに降りかかった悲劇は言葉に形容できないが、今回の震災を切っ掛けに久ノ浜の地域が、年代を超えて互いに気遣い盛り立てながら1つにまとまっていく姿は、力強く非常に美しいものだった。

災害ボランティア 久ノ浜 2011.7.16

こうした彼らの姿はニンゲンの良い面をまた1つ見せてもらった様に思うが、これまでの災害ボランティア活動を通して「ニンゲンまだまだいけるじゃん」と震災前の生活では思いもしなかった前向きな気持ちにさせてもらったことは、地元の方々からたくさんの感謝の言葉をいただいたが、本当に感謝しなければならないのはこっちの方だと思った。

8月27日(土)には、久ノ浜で地元主催の花火大会が予定されているそうだ。2,000~3,000発の花火を打ち上げるらしく、予定を調整して是非ともこの日にまたここを訪れたいと思う。