巻の選出騒動に続き、オシム監督の大騒動が勃発中ですが、去年の今頃はまだ臨海で試合をやっていたことを思うと、隔世の想いを抱いてしまいます。
オシム監督の大騒動については、ここまでに至ったプロセスやら、物分りの悪い身勝手なクラブに仕立て上げられてることや、最終的にどうなるのか、を除いて考えると、テレビ、特に情報番組・報道番組でジェフの試合の模様を流してくれていることは、PR的には結構オイシイ感じがしますね。ようやく「走るサッカー」から「考えて走るサッカー」と言い換えられてきましたし。
(とはいえ、どこが考えて走るサッカーなのか、の解説は誰もできなかったけど。あと、シュトゥルム・グラーツなどのクラブチームでの実績が無視されているのがすごい。チャンピオンリーグの2次リーグに進出したことの監督が、これまで代表監督になったことってあったっけ?しかも率いたのはオーストリアのあまり資金が潤沢にあるとはいえないクラブ・・・。)
とはいえ、いろんなメディアが都合のいい形で、特に「オシム監督+協会 vs ジェフ」という構図で描かれているケースが多すぎなので、それについて、現状のオシム監督の考えを推測して整理してみることにしよう。
まず、日本代表監督をやりたいか、やりたくないか、という意味では「やりたい」という意思を持っている、これは間違いないと思う。
これは、長束さんのブログでも触れられているように、世間の人が思うよりも日本のサッカー界は代表を中心に回り過ぎていて、特に、マスメディアにとってJリーグは相当軽んじられた存在になってしまっている為(事実、地上波からは完全に消えつつある)、クラブチームを通してあるべきサッカー像を伝えることは事実上不可能な状態に陥っており、日本のサッカーをよりよい方向へ向ける為には、日本代表のサッカーを変えるしかない、という考えに至っているからだと容易に想像できますね。長いけど。
つまり、日本のサッカーを軌道修正するには、代表のサッカーを変えるしかない、とそこまでオシム監督は日本のことを考えてくれている訳です。また一方で「自分がやるしかないかも」と思ってしまうほど、(知ってのとおり)日本の状況は悪いはずです。
これまでの代表監督と比べて、金や名誉やステップアップといったそういったモチベーションはオシム監督はなく(事実そうじゃなかったら、とっくにレアル・マドリーの監督になっている)、あくまでもいい意味でチームを研究対象としてみて監督をやっている気がします。身近なところだと、「スラムダンクの安西先生」と同じモチベーションなんですよね。「自分がトライした結果が手に取るように見える、そのプロセスが何よりたのしい」、このモチベーションに何より喜びを感じる方であると推測されます。
また見逃せないのは、チトーから受け継がれているユーゴスラビアのパルチザン精神が、ビッククラブに代表される、体制側に付かないというスタンスに結びついているように思われます。
とはいえ、個人的には、オシム監督は「練習でできないことは、試合でできる訳がない」というタイプの典型だと思うので、トレーニングの期間をあまり取ることができない代表監督として、「皆が痺れを切らす前に」結果を出せるかどうか、というのは非常に不安なものがあります。スタメンの選び方や試合中の交代は、想像を絶する程手堅いところがありますしね。あと、中島浩司や山岸や今の楽山など、ジーコ監督と三都主の関係など比較にならないほど育てる為に使い続ける面があるし。
そういった面を正しくみんなに説明していくことが、ジェフサポの役割だったりするんだろうけどね。
しっかし、でもやっぱオシム監督の胴上げは見たいよね(笑)。