鹿島 0 – 2 千葉 (14:09/国立/44,704人)
得点者:’80 水野晃樹(千葉)、’82 阿部勇樹(千葉)

阿部の2点目のヘッドが決まってから、涙が止まらなかった。

2年半前の同じ国立での鹿島戦、ストヤノフが不可解なレッドカードで退場となり2-4で負けた試合のイメージもあり、正直いやな予感がしてならなかった。また、昨年の覇者であるという事実の反面、タイトルつまり勝利に対する欲望が薄いのではないか?という疑念がしてならなかった。
この1年で「ボクらは、どうしてここまできてしまったのか・・・」と思うほど様々なこと(なぜ監督が代わっている? なぜこのリーグでこの順位にいる? なぜ強奪される形でそのポジションにいる代表監督は不可解な批判を受けなければならない? なぜ巻は会長に名指しで「ヘタ」呼ばわりされなければならない? なぜGMはチームを去らなければならない?)が起き、チームが大きく揺れている状況のなかで、周囲を雑音を吹き飛ばす為には、確かに「勝利」を収めるほかないのだが、果たしてそれがどこまで勝利へのモチベーションへと繋がっているのか、というのは本当に不安だった。

試合の内容に対する正直な感想としては、鹿島のチーム・コンディションが悪く、その差が出た試合だったように思う。春先のフクアリでの鹿島戦での死闘に比べれば、やや弛緩した感覚は拭えなかった。何より千葉が最も恐れる“小笠原”は、もうそこにはおらず、鹿島の“水野様(笑)”に位置する内田不在が大きく試合結果に影響したことは否定できない。
そもそも千葉はスピードのある仕掛けてくるタイプの選手に弱いことは明白なはずなのに、それを有効に突いてこない采配のミスであることは、相手サポータからも見て取れた。後半はじまってすぐのアレックス・ミネイロや柳沢のシュートのどれかが決まっていれば結果は大きく違っただろうが、千葉は運良くそして集中力をきらすことなく失点を防ぎきった。

かつての千葉であれば、ストヤノフ、クルプニの2人の外国人の不在、結城という控えDFの不在という条件が重なれば、チーム状態はボロボロになっていてもおかしくなかったが、その穴を先代のオシム監督がサポーターも理解できないほど我慢して使い続けた中島が見事に埋め、主力の不在を全く感じさせないプレーを披露していた。何より中島は、自身のポジショニングが年を追うごとにトップ下、ディフェンシブ・ミッドフィルダー、リベロと後ろに下がってきたという経験から、最終ラインにいながらドリブルでフィニッシュに持ち込める稀有なプレイヤーとして大成していた。先代のいう「ディフェンスの選手であっても、相手のペナルティーエリアでは、フォワードの選手のプレイを」という言葉をまさに体現する選手だった。かつて中島は仙台で戦力外通告を受けた選手だというのに。

また、去年はこの国立のピッチに立てなかった水本は、日本代表の名に恥じない日本を代表するセンターバックに成長し、この日も相手フォワードに仕事をさせていなかった。巻は今日もカラダを張ってチームを有機的に機能させていた。相手フォワードのポストプレイが機能不全に陥っていたことを見れば、「独りで」彼が何をしていたのかは明白だろう。なぜ水野が再三突破を見せることができたのか、後半坂本と羽生のコンビネーションで危険なプレーを見せることができたのか、それは巻が相手DF2人を引き連れていたからに他ならない。

プロ9年目の25歳のキャプテンは、老獪に相手のカウンター・チャンスをつぶし、80mを走りぬけフィニッシュまで持ち込むプレイを披露するなど攻撃に絡み、ロングフィードでチャンスを演出していた。そして試合を決めるヘッドを叩き込みすべてのサポーターに歓喜をもらたらした。

試合終了のホイッスルが鳴った時、そして2つの得点時に、千葉には外国人プレイヤーはひとりもいなかった。「日本のサッカーとは何か?」その答えがこの試合にはあったはずだ。世界に誇れる日本のサッカースタイルがここにはあるはずだ。千葉はこれを失ってはならないし、日本代表もいま自分たちが手にしているものの価値を見誤ってはならない。日本代表はまだ完成形の20%にも達していないのだから。