オシム重圧アリアリ…参謀なし語録なしビジョンなし
夕刊フジ編集委員・久保武司さんとやらの記事がひどい。
そんなオシム監督が目指すサッカーは、「早いパス回しと敏捷(びんしょう)性…。そんなところでしょうか」と田嶋委員長は解説したが、W杯ドイツ大会を見る限り、惨敗したサッカー日本代表が劇的に変化することなどありえないことは、誰もがわかっている。これではジーコジャパンと相違がないではないか。
あくまで田嶋氏の表現であって、オシム監督の表現ではないのでそもそも見当違いなのだが(田嶋氏が監督であれば話は別だがね)、「欧州レベルの戦術理解度の浸透」、後藤健生さん的な表現でいうところの「フットボール文化の有無の違い」が課題なだけであって、まずは、「スペースをつくるための走る動き」、「味方の選手のプレーの選択肢を増やす為の走る動き」、「同様にフィニッシュにかかる人数を増やす為の走る動き」、「効率的なプレッシングを実現するための走る動き」といった、いわゆる「考えながら走る動き」という非常にベーシックな、野球で言うところの「ノーアウト一塁で次の打者はバント」レベルの基礎戦術の理解すら日本のサッカーはできていない、という点に関して認識の相違がある限りは、いくら議論しても無駄である。
しょうがない。この氏ははじめて「監督」というものを目にしたのだから。
オシム監督が、「まずは身長の高い選手を見つけたいが、日本ではそれは難しい」と、すでに白旗状態なのも見逃せない。
言い訳ではなく、現実を直視してだけの発言。日本人の平均身長は185cmではない。その課題をいかに別なアプローチで克服するのかが課題といっているだけであって、課題に向き合わないとはひと言も発言していない。確かに前監督はこの課題を直視しなかったが。
ジーコジャパンの失敗も、神様だったジーコ監督に異を唱える「参謀役」が不在だったことがある。同じ轍を踏まないために今回、2人の日本人コーチが入閣したが「ヘッド格とか、そういう形は一切ない」と田嶋委員長はいう。
クラブや代表での監督経験のない監督に対しては、往々にしてここでいう参謀役が設けられることがあるが、オシム監督は実績およびその手腕には疑いようのないものがあるため、参謀役が不在で当然である。むしろ、誰がオシム監督の参謀役を務められるというのか?
具体的なマニフェストを示さなかったことで、早くも報道陣の間からは、「本当に大丈夫か」のささやきが聞こえてきた。
氏は、「マニフェスト」ではなくて「キャッチコピー」を求めているだけであって、マニフェストは十分に示されている。一流の寿司屋に行って「サラダ巻をなぜ置いてないんだ!」というクレームをつける感覚に近い、あまりにも虚しいコメントは金輪際限りにしてほしいものだ。
隠れた不安というならば、(別に隠れていないけれど)「選手起用、交代策が非常にコンサバティブで手堅過ぎる」、「基本的にリスクを犯すサッカーの為、いい内容をしつつも負けることがある(気持ちのいい負け方なのだが)」など、まっとうな意見を挙げてきて欲しいものだ。