The New World

テレンス・マリック監督の最新作「ニューワールド」を観た。

映画のプロモーションとして「一生を変えてしまう愛がある」というキャッチコピーが付けられているが、実際に映画全体を通して描かれているのは、もっと人生の根幹的な部分に触れる“二つの愛”であり、「文明人」として人生を歩むことについての咎が描かれていたように思う。

映像的には、クオリアンカ・キャルヒャー演じる“ポカホンタス”の振る舞いや、監督の敬意を端々に感じるネイティブ・アメリカンの文化の美しさ・深さに、ひたすら目と心を奪われた。
また、ネイティブ・アメリカンの文化やその土地(撮影現場は、どこかの未開の地で撮影されたのではなく、ヴァージニアのまさに“その場所”で行なわれた)に対して、文明の先端の象徴であるはずのロンドンが何とも貧相に描かれるその対比から、アメリカの入植の歴史の延長ともいえる「グローバリズム」によって引き起こされてしまう“喪失”について深く考えてしまった。

ポカホンタス達がそうであったように、それからは逃れられなくても“失う必要まではない”という心を忘れないのは、1つの文化を長い年月を通して育んできた民族の1人として大切な気がする。
最後になってしまったが、コリン・ファレルは俳優として見直したし、クリスチャン・ベールの自分の存在を押し殺した演技は必見だ。

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Live Forever

映画「リヴ・フォーエヴァー」をみた。
映画を見て驚いたというか改めて気づいたのは、自分が大学に入学したころブリットポップが始まり、卒論を書いているころに終焉を向かえた、まさにブリット・ポップ世代であることだった。
映画自体は、別にブリット・ポップの裏側を暴くといったたいそうなものではなくて、ロッキン・オンをはじめとする音楽媒体に目を通していたり、当時せっせとCDを買っていたなら誰でも知っている程度の内容だけど、すべてをリアルタイムで通過した分、まるで自分の昔話を見させられている気分になった。
Plupの「This Is Hardcore」とoasisの「Be Here Now」には、確かに幻滅したし、その頃は常に「OK Computer」が自分の中で常に鳴っていたことも思い出した。
とちょっとおセンチな気分に浸ってしまったが、ノエルとリアムのバカ兄弟がインタビューに正面から答えている貴重なフィルムだと思うので、ぜひ見ることをお勧めします。
ま、現在のオエイシスに必要なことは「兄貴が歌わない」ことに他ならないのだけど(笑)。

LIVE FOREVER

いまとなっては非常に恥ずかしいことなのだが、オアシス vs ブラーの頃、自分はどちらかというとブラー派だった。まあ、「whatever」を手に取るまでの短い期間だったんだけど。ケミカルは「あいつら絶対ホモだ」としか言われない存在で、プロディジーは怖い&ヤバイ人たちで、マッシブは「難しい」で片付けられて、underworldは「バスタブで頭を振ってる“少年”」程度の話だった。(えっと、プライマルは何だろう!?)パルプは、その解りやすさからみんな好きだったけど、radioheadに至っては「暗い」としか言われてなかった。スウェードも好きだった。
あの時代は、「“デジタル”をいかにロックに組み込むか?」っていうテーマがメインストリームにはあって、U2が必死になってガンバってたけど、ケミカルとプロディジーの3年は遅れていた。つか、10年経ってそんなことどうでもよくなっている今の時代はステキだ。
そんなことをふと考えちゃう映画「リヴ・フォーエヴァー」が公開される。行かなきゃ。