この著書の主人公である溝畑宏氏が前原国土交通大臣の意向を受け観光庁長官に就任したとのニュースを耳にして、「なんだ、結局トリニータを捨てて自分だけ脱出かよ」と、私はJリーグを愛する人間として強く怒りを覚えた。
社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年 |
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木村 元彦
おすすめ平均 |
この本は前大分トリニータ社長溝畑宏氏を「オシムの言葉」で著名となった木村元彦が経営破綻に追い込まれた大分トリニータの悲劇を追ったノンフィクションである。
私を含め多くの人は、この大分トリニータの悲劇は社長の溝畑宏氏の手によるものだと信じていた。韓国サッカー人脈との不可解なつながり、大分という地方都市の身の丈に合わない無理な経営、朝日ソーラー、ペイントハウス、マルハン、フォーリーフという胸スポンサーを巡る騒動、そして多額の使途不明金の噂…。
これらの問題に木村元彦氏は、おそらくこのような悲劇は全国のどの地方都市クラブにも
起こりうる問題として真っ向から立ち向かっていく。木村氏のスタンスは明快で、
ことわっておくが溝畑の擁護をする気はさらさらない。私はむしろ長い間、アンチ溝畑の書き手であった。
と語るように、客観的な事実を浮かび上がらせるため、例えば自治体からトリニータへの金の流れを追った市民オンブズマン永井敬三氏への取材を試みるなど、ありとあらゆる関係者への取材を行っている。
その中で見えてきたものは?そして結局溝畑氏は「クロ」なのか「シロ」なのか?…。
私はこの本を読んで、確かに身の丈に合わない予算を組んだことや、力業で大分ビックアイを建設し日韓ワールドカップの試合を誘致したことは、諸手を挙げて支持することはできないが、溝畑氏に対する見方が180度変わったことは確かだ。
数学者である父溝畑茂に東大に入ってもキャリア試験に合格し官僚になっても、「板前になる方が社会的な意味があるのでは」と全く評価されない人生を歩み、そんな父に急遽呼び寄せられ官庁に嘘をついてまで見に行ったイタリアワールドカップでの旧ユーゴスラビアの試合(監督はもちろんオシム監督)そしてサッカーとの出会い。
また、社会人であれば誰もが驚く営業手腕。近年コンプライアンスの観点から広告代理店すらあまりやらなくなった「お客様(スポンサー)を喜ばせたいための」裸踊りや情に厚い性格など、これまで悪い見え方でしか見えてこなかった彼の本質的な部分は、私の溝畑宏観を大きく変え、いまはただただ畏敬の念で彼を見ている。
だが、そんな溝畑氏を持ってしてでもトリニータの悲劇は何故起きたのか?その答えに木村氏は真っ向から答えた回答をこの著書の中に用意している。
それはこの著書を実際に読むことで確認していただきたいが、木村氏が述べているように、(木村氏は触れていないが)ヴァンフォーレ甲府の海野社長が成し遂げた手法と逆の手法、つまり、数億円単位の大口のスポンサー契約獲得にこだわりつつけた溝畑氏の気質と、すっぽりと抜け落ちてしまっていた「県外」に対する「県内」のケアそしてそれを実行できる「内政力」を持った溝畑氏のパートナーとなるべき人物の不在が、トリニータの物語を悲劇として終幕させてしまったように思う。この点は本当に溝畑氏にとっても不幸だった。
最後に、この著書の中でもことあるごとに木村氏が触れているポポビッチ監督によるサッカーは本当に美しかった。私も実際にフクアリでの千葉vs大分の試合を観戦したが、ピッチを有効に使い、長く早くうつくしいパスを自在に通し、何分間も千葉がボールにすら触ることができないサッカーは、敵ながらため息がでるほど美しいサッカーだった。
彼が指摘するようにこのサッカーがJリーグおよび日本から消えてしまったことは何よりの損失であり、本当にただただ残念でならない。
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