東日本大震災 ボランティア活動の記録@東松島 2011.6.5

災害ボランティア 東松島 2011.6.5

普段私は災害ボランティア活動のことを「ちょっとだけ遠出する町内会の催し」と表現することがあるのだが、今回は完全に「町内会の催し」に組み込まれる形での活動になった。
それはどこかなつかしい体験であり、わたしにとって楽しい思い出として刻まれた。



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今回の活動地は、宮城県東松島市の陸前赤井エリアの新興住宅街。
前週の石巻とほとんど離れていないにも関わらず、1.5メートルの高さの津波しか来なかったため、(本当はそれでも大変な事なのですが、)ほとんどの家屋が軽い床上浸水だけで済み、私のボランティア活動の中で最も被害が小さいエリアとなった。

災害ボランティア 東松島 2011.6.5

この日の活動は側溝のヘドロのかき出し作業。150名のボランティアがやって来るこの日に合せて、この地区の住民総出での側溝掃除が企画され、文字通り「町内会の催し」に私たちボランティア・スタッフが加わる形でこの日の活動は行われた。

災害ボランティア 東松島 2011.6.5

特に象徴的だったのはお昼の休憩時間。ボランティアツアーが用意してくれた弁当を片手に食事場所の公園に集まったところ、そこで目にしたのは大きな寸胴でカレーを煮立てている地元のおばちゃん・・・いやお姉さまたち。そう、私たちはこの地区の主婦の方々が炊き出してくださったカレーを、ご相伴にあずかることになったのだ。

「町内の方は後に並んで、ボランティアの方を優先してくださーい」と言われてしまえば、手に携えている「ツアーの旅行代理店が手配してくれた地元石巻の営業再開したばかりの料亭が作ってくれたボリューム満点のお弁当」があろうとも断ることはできなかった。

カレーはジャガイモやニンジンがしっかりと入った「ザ・王道カレー」。半切れの笹蒲鉾がちょこんと乗ることで、さりげなく宮城らしさがアピールされたものだった。

災害ボランティア 東松島 2011.6.5

カレーを頂いている間も、地元の方々がボランティア・スタッフたち、特に外国人のボランティアと積極的にコミュニケーションを取っていたりと、非常に和やかで和気あいあいとした雰囲気が生まれ、ここが被災地であることを忘れてしまう程だった。

地震や津波そして原発事故と耐えがたい苦しみを味わったが、こうした日本人的な「ふれあい」を経験できるのは、とても貴重で価値のあることだと、ふと考えてしまう。こうした災害が起きなくても普段からこうした経験ができる社会の構築(というより再生)が、ある面では望ましいのかもしれない。

災害ボランティア 東松島 2011.6.5

現地の方のお話では、この作業をするためにボランティアのリクエストを出してから2ヶ月も待たされたらしく、それもあってか次々と「ボランティアさん。こっちもこっちも!」と非常に積極的に声を掛けて頂き、最後まで引っ張りだこの状態。おかげで復路のバスでは5時間の帰り道を、ただただ眠り続ける事になった。

災害ボランティア 東松島 2011.6.5

こうしたのどかな気分で活動できた半面、今回訪れた被災地はたまたま被害が小さいエリアで、地元の方々に力強さがあり、活気に溢れた被災地というものを経験することができたが、これまで訪れた釜石、久ノ浜、石巻といった壊滅的な被害を受けているエリアは、まだまだ復旧の目途すら立たない状況で、この陸前赤井の地域よりももっと深刻に・真剣にボランティアの力を欲していること、そしてこうした地元のニーズにボランティアの供給が追い付いていないことを強く認識させられた。

つまり勘違いしちゃいけないぞと。