東日本大震災 ボランティア活動の記録@石巻 2011.5.29

災害ボランティア 石巻 2011.5.29

芸能人たちがこぞって炊き出しに訪れることで有名な宮城県石巻市。自衛隊の拠点があったことや様々な条件が重なり被災地の中でも復興のスピードが速いと言われている。

確かに釜石や久ノ浜に比べれば、道に横たわる瓦礫の量は多少少なく、細い小道にも重機の姿が見られ復旧の進展が形となって表れている。だがやはり被災地は被災地、ボランティアの助けが必要な事には変わりなかった。


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「ボランティアさん、やっと来てくれたよぉー」

おばあちゃんは私たちを見るなり、うれしそうにそう声を上げた。

その日の午前中活動するボランティアの姿を見て、そのおばあちゃんは近くにいたコーディネーターに助けを求めた。その結果、私たちの班の午後からの作業は、このおばあちゃんのお家の掃除のお手伝いとなった。

2階近くまで浸水した自宅の床板の張り替えを行うにあたり、ゴミと(海水が乾いた後に残った)塩を床板から取り除かなければ大工が作業できないということで、私たち7名のボランティアがその作業をお手伝いすることになった。

災害ボランティア 石巻 2011.5.29

どうやらおばあちゃんは、以前から付近で作業するボランティアの手を借りたかったのだが、ボランティアセンターに直接問い合せたところ、「(住まいのある)区長経由で問い合せてくれ」と言われたらしい。だが、その区長は奥様を亡くされ、その悲しみからか連絡が取れない状態になっていて、「目の前のボランティアに助けを求めようにも求められない」という、何とももどかしい思いをここ数日されていたようだ。

災害ボランティア 石巻 2011.5.29

この日はチームのリーダーに指名されてしまったこともあって、家の持ち主のおばあちゃんとはいろいろお話することになった。しかし、思えば自分の亡くなった同じ宮城出身の祖父母もそうだったが、東北弁のなまりは本当によく分からない。ということで「へぇー」、「そうなの!」、「そうだねー」と適当な相づちをひたすら大声で返すだけの私。

でもおばあちゃんはそれでもうれしかったようで、「自宅の1階が完全に津波にのまれたので2階に避難していたのだが、水が引いた後別の場所で避難していた息子さんが、1階の様子を目の当たりにしておばあちゃんが死んでしまったと勘違いしてその場を立ち去ってしまい、後日避難所で再会して驚かれた話」や、実は海女さんで今でも現役だという話など、本当にいろいろとお話をしてくださった。

災害ボランティア 石巻 2011.5.29

ホースを使って床板をデッキブラシで磨き、水切りとぞうきんを使って水を吸い取っていく。みるみる部屋は片付いていく。気遣いから「残りの部屋は自分でやる」というおばあちゃんに対し、善意の押し売りの塊である私たちは容赦なく襲いかかり、(物置と化していた風呂場とトイレを除き)5部屋全てを掃除し終えることができた。

災害ボランティア 石巻 2011.5.29

「まぁ、こんなにキレイになって。見てよ」、「たいしたもんだぁ、たいしたもんだぁ」と、おばあちゃんは興奮気味に喜ぶ姿を見せるのだが、私たちはさらに容赦なく角に溜まった砂をぞうきんを使って細かく取り除いていく。

「休みの日にわざわざ来ていただいて、そこまでしていただかなくても」と言われても知ったことではない。わざわざ往復10時間バスに揺られてやってきたのだから、そこは徹底的にこちらの好きなようにやれるだけやらせていただいた。

別れの際に、おばあちゃんが感極まって涙を流してお礼を言っていただいたが、それも知ったことではない。繰り返すがこっちは好きでやっていることだし、たのまれなくても2週連続で同じツアーに申し込んでしまったのだから「来週も来るよ」と言い残して、おばあちゃんのお家を後にした。

ということで来週につづく(たぶん)。

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