映画 「あしたのジョー」

上映後2人の幼い少年がロビーに駆け出しシャドーボクシングに興じる。少年たちの気持ちはよく分かる。私も彼らと同じ年頃であれば、先ほどまでスクリーン上で繰り広げられていた漢たちの姿に魅せられてボクサーになりきり空に拳を突き刺しただろう。
だが私にはそれができなかった。大人だからという理由ではない。彼らとは違う映画の読後感を得たからだ。そして、その少年たちに1つだけ質問をしたかった。

「誰をイメージしてシャドーボクシングをしたのか?矢吹か?それとも。。。」

この映画は力石徹を演じた伊勢谷友介の映画である。今後彼はハリウッドへ進出するだろうが、ターニングポイントになった作品として、この作品が挙げられるのは間違いない。それだけ彼のこの役に対する執念とパフォーマンスは際立っていた。

スクリーンを通して私の眼前に対峙する彼は間違いなく力石徹であり、そこから発せられる威圧感、ストレスそして恐怖、全てが本物の感覚・体験として経験されたように思う。映画を見終えた後でもその認識は変わらず、矢吹丈同様に自分にとって永遠に乗り越えられない存在として、力石徹が自分の中に永久に在り続けるのではないかと錯覚するほどだ。

役者として凄さを見せつけられると共に、伊勢谷友介の「人間」としての大きさを教えられた気がする。

この力石徹と双璧を成すのが丹下段平を演じる香川照之である。
この映画を見るにあたって1つだけ済ませておかなければならない儀式がある。それは原作のマンガを読むことでもアニメを見ることでもない。それは香川照之がこの映画「あしたのジョー」の撮影日誌として書き上げた、「慢性拳闘症」を手に取ることである。

4062167565 慢性拳闘症
香川 照之
講談社 2011-02-04

by G-Tools

何も知らなければ、希代の性格俳優香川照之が特殊メイクで丹下段平を演じるというのは観客をバカにした行為、特に「あしたのジョー」にただならぬ想いを抱いている人たちにとっては、理解しがたい行為だ。
だが、「私は―実は十三歳の時から、ボクシングというスポーツだけを観ることに心血を注いできた」と語るボクシング観戦歴いや「拳キチ」歴三十年の、誰よりもボクシングを愛する男であることを知ったとたん、この配役に対する認識は一変する。

監督の曽利文彦やボクシング指導の梅津コーチを差し置いて香川照之は、山下智久と伊勢谷友介はもちろんのこと、レフリーを演じる役者に対してまでポジショニングなどの細かな指導を行った。そのことを通じ私たちは、「ボクシングにウソをつけない」性分によって自制を失い、演技指導・演出まで手を出してしまったリングの上のもう1人の監督「香川照之」の姿を知ることになる。

もちろん役者としても「元ボクサー」丹下段平を演じるために、プロのトレーナーとしてのふるまいを完全に身に付け、矢吹丈とミット打ちのシーンでの彼は、(毎日2時間をかけて施した)特殊メイクで見せかけだけの丹下段平ではなく、「元ボクサー」で「プロのトレーナー」の丹下段平がそこにいた。
そして演技では流石香川照之である、特殊メイクを施していないのは片目だけという役者にとって厳しい条件の下で、丹下段平の心の動きを繊細に描ききり、ともすれば失笑を買いかねない役どころを「ああ。そういえばこの役は香川照之が演じていたんだ」と改めて知らしめてくれるほど彼は完璧に演じきった。

伊勢谷友介の力石と香川照之の丹下段平に挟まれた山下智久は、劇中の矢吹丈の様に存在が小さく、劇中の矢吹丈ともシンクロしプラスに作用する面もあるが、彼らと張り合える俳優が演じたならば作品の格が1つも2つも上がったことを考えると、この事実を山下智久や関係者スタッフは真摯に受け止め、もし「あしたのジョー2」が製作されるのであれば、力石の死を乗り越えて大きくなった矢吹の様に、伊勢谷友介の背中を追いそれを越えようとあがきもがくことで、山下智久自身のスケールが大きくなることを願いたい。

最後にこの作品の監督である曽利文彦は、00年代の日本映画界の流れを変えた「ピンポン」で魅せた手腕をここでも遺憾なく発揮し、誰もが知っている物語を飽きさせることなくリズム・テンポ良くまとめ上げたことは非常に大きく評価したい。欲を言えば物語が詰め込まれ過ぎでもっとボクシングシーンが観たいという欲求に駆られるが、これは監督だけの問題にするのは酷だろう。

最後に「慢性拳闘症」で香川照之が触れているように、映画という「究極のごっこ遊び」を何人もの男が命がけ(伊勢谷友介は試合のシーンの前2日半何も口にしなかった)で演じる姿を応援しないのはあまりにも寂しすぎる。
原作での力石と矢吹の魂に私たちが敬意を払って止まないように、この作品にも敬意を払うべき本物の魂が息づいている。私たちはそれに対しそれ相応のふるまい、つまり劇場で鑑賞するという責務から目を背けてはならないように思うのです。

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