何故ジェフは敗者となったのか?2010年シーズン総括・上

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2010年シーズンジェフユナイテッド市原・千葉はシーズンを4位でシーズンを終えることになった。同時にこれは昇格圏の3位内に入ることができず、来期も彼らの戦いの場がJ2になることを意味した。

シーズン前、シーズン中と監督や選手そしてクラブスタッフは、「1年でのJ1への復帰」を目標に掲げそして事あるごとにその言葉を常に口にして自らを鼓舞していったが、その目標を実現させることはできなかった。

柏レイソルと並び「J1中位級の規格外の戦力」と言われたジェフ千葉は何故、柏が実力通りの結果を残し早々にJ1昇格を決めたのに対し、戦力で劣るはずの他クラブに結果的に「11敗」というとても上位らしからぬ敗北を喫し昇格を逃してしまったのか、ここでは振り返ってみたいと思う。

「2回戦総当たり全36戦」という誤算

2010年シーズン、J2は1つ大きな変更を行った。ギラヴァンツ北九州がJ2に新たに参戦し全19チームになったこともあり2009年シーズンの3回戦総当たりの全51試合(全18チーム)から2回戦総当たりの36試合と試合数が大幅に減少した。

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ジェフ千葉はおそらく「全51試合」を想定してチーム体制を組んでいた。
通常J2に降格したクラブは予算規模の縮小から、戦力の放出を行いスリムになった体制で翌シーズンに臨むのだが、ジェフ千葉は12人の新戦力補強を行いJリーグの規定ギリギリの32人体制で2010年シーズンを迎えた。前任者のミラー監督の方針とはいえ2009年シーズンは23人体制だったことを考えると、ここに明らかに意図があったことを見て取れる。

おそらくジェフ千葉のクラブ上層部は、当初継続が疑問視されていた東京ヴェルディが存続できず、結果的に2010年シーズンも三回戦総当たりになると踏んでいたのだろう。

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だが現実には全36試合となり、それはジェフ千葉にマイナスに働いた。大所帯の体制について江尻監督は「競争原理が働く」と述べたが現実は違った。完全に戦力はダブつき、一分の選手のモチベーション低下を招き、江尻監督がチームをいじりすぎる原因を生んでしまった。

おそらく3回戦総当たりであればジェフ千葉の規格外の戦力はライバル・チームに対する大きなアドバンテージとなっただろうが、この一見つまずきに見えない大きな誤算は、目に見えない形でチームを蝕んだ最大のマイナス要因であると私は考える。

四兎を追い三兎を逃す

2010年シーズン、ジェフ千葉の目標は「J1昇格」だけではなかった。

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  1. 1年でのJ1昇格
  2. サッカー・スタイルのアイデンティティ確立(バルサ化)
  3. トップチームの若手育成(監督育成含む)
  4. 育成システムの再構築

実はジェフは4つの目標を掲げる形で新シーズンをスタートしていた。シーズンを終え、成果が出たとまでは言い切りづらいが少なくとも前進が見られたのは「4. 育成システムの再構築」だけだ。

ここでの問題は、監督の意向としてはバルセロナを手本とした「サッカー・スタイルのアイデンティティ確立」を目指しながら、フロントからの強い意向で「1. 1年でのJ1昇格」という目標を課せられてしまったことである。

さらに、(スポンサー、おそらく親会社たちからの強いプレッシャーがあったとのことだが)フロントは「1. 1年でのJ1昇格」にこだわるあまり、戦力として算段のつく30歳前後のベテラン選手を中心とした補強になり、新スタイルの築き上げる上で全くふさわしくない体制ができあがってしまった。

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この点については西部謙司氏もコラム「犬の生活」の2010年のまとめとして触れているが、例えば柏のネルシーニョの様に才能と実績を誇る名将であれば、「スタイル確立」と「育成」と「昇格」という3つの難題をクリアしていくのだろうが、残念ながらジェフの指揮官は、前年シーズン途中から指揮を執り、1勝しか上げることができなかった監督経験ゼロの「新米監督」江尻篤彦であった。

トップチームに関しては文字通り「1年無駄にした」格好となったが、下部組織においては着実に成果を上げた1年だったと言える。かつてのジェフの黄金期は、阿部を筆頭とするユース上がりの選手であったことを考えると、今年のこの成果は見過ごしてはならない成果だと私は考える。