巻は「ちびっ子」だらけのジェフの中で「のっぽ」だけが取り柄な選手だった。
実際足下の技術はほめられるものではなかった。
まず、ドリブルができない。いい位置でボールを受けてほんの数メートルだけドリブルしてシュートを放てばゴールになりそうなものを「どうしよう、どうしよう」とあからさまに迷っている&焦っている巻の姿を何度も見た。
ドリブルだけでなくシュートの技術も今一つだった。
ゴール前で相手キーパーと一対一の状況になってもあまりゴールの臭いはしなかった。「利き足は頭だ」と言っていたがその頭でも良く外した。そもそも試合前のシュート練習でもシュートはほとんど決まらない。
だいたい2005年のナビスコカップの決勝で、巻が5人目のキッカーとして現れた時、ジェフのサポーターの誰もが「えっ、巻?!」と思った。どれだけ信用されていないエースなのだろうか。地面に付いているボール、止まっているボールに関してはまるで期待できない選手だということだ。
だが「それ外すか?」という一方で、「これ決めるか?」という難しいシュートを決めた。アイスホッケーの競技経験があるからか、点で合わせる難易度の高いゴールを決めることが多々あった。
たとえ10本外しても1試合に1ゴール結果を出す男だった。
足下のボールであってもポストや相手選手との接触を恐れず、カラダごとボールをゴールに押し込んでいった。
また、巻の真骨頂といえば前線からのディフェンスだった。
キックオフ直後から相手ボールに襲いかかる姿には迫力があったし、ゴールに向かうプレーではなく、相手ボールを奪う守備の局面であるにも関わらず、試合開始直後から全速力でボールを追いかける、そんな姿勢に感動せずにはいられなかった。
あと、戦術面で見逃せないのがポストプレー。後方から蹴り込まれるボールを3秒ほどだけキープする。そうすることで相手ラインを押し下げ2列目以降の選手が裏のスペースに走り込むことができた。内容が悪かった試合、オシム監督は試合後決まって「巻と2列目の選手の距離間が悪い。」「大人のプレーができていない。」と口にした。
当然相手ディフェンダーはそれをさせまいとあの手この手で巻を潰しにかかった。プロレス技のようなプレッシャーは日常茶飯事だった。それに耐えて仲間を信じてカラダを張りつつける巻を見ているだけで涙が出ることもあった。
サッカーの「上手い下手」は、華麗なフェイントボールの扱いやフリーキックなどのいわゆる「テクニック」と称されるスキルによって判断されがちだが、巻の良さはそうしたわかりやすさとは無縁のプレーにあり、それは見る側の力量を試すプレーと言うことができるかもしれない。
近年、特に2006年にオシム監督が代表監督に選出されたことで、代表に選出される機会も多くなり、また、「オシムサッカー」の象徴でもある巻を押さえることでアピールしようとする相手選手からのプレッシャーが更に激しくなり、この頃に追ったケガによって巻の動き、特に象徴でもあった後先を考えない思い切りの良いプレーというものが徐々に影を潜めていったように思う。
また、アマル、クゼ、ミラーとジェフの指導者も短期間で変わり、それまで安定していたサッカースタイルが霧散してしまい、チーム全体の決定機の数が減ってしまうことで、数少ないチャンスを決めることに関しては強みを持たない巻は徐々に結果を残せなくなった。
何より2006年から始まるクラブ崩壊の危機的状況の中で、「自分が何とかしなければならない」という何でもかんでも背負い込んでしまう責任感の強さが巻の動きを重くしていたのは不幸としか言いようがない。
巻には本田のようなテクニックはないが、巻はゴールを奪うことで、サポーターは巻のもつ価値観を理解することで、互いに幸せな関係を築いていって欲しいと願う。
そして2年後ぐらいにはフクアリでもう一度、「うわ、巻ヘタクソっ(笑)」と思わせるプレーで僕らを笑顔にして欲しい。
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