2009年ジェフユナイテッド千葉は、最下位の18位という成績でシーズンを終えた。そして、日本リーグ古河電工時代を含めて初めての2部落ちを経験することになった。
何故2008年に苦しくそして悔しいシーズンを過ごし、最後の最後残り15分で奇跡を起こして残留を果たしたにも関わらず、その翌シーズンに最下位で降格という残念な結果に終わってしまったのか、そして何故「去年できたことが今年できなかったのか」といことを自分なりに整理しておきたいと思う。
1. 2008年の奇跡的な残留劇からの達成感から「下位(15位)」という現実と向き合えない
三木社長も2009年シーズン後のサポーターカンファレンスで、「昨年の最終戦で本当に皆さまのお力をいただいて残留したことで、2008年の問題点の多くが、忘れ去られてしまったという反省をまず第一にしております。」とコメントしていたことから分かるように、「2009年のシーズンオフに危機感を持ってチーム体制を作れなかったこと」が降格の最大の要因の1つであると断言できる。
最終ライン(ボスナー、池田)、中盤(下村、工藤)、FW(巻、深井)のセンターラインに問題を抱えていたことは明らかだったのだが、ガンバ大阪から元五輪代表という肩書きを持ち有望な若手である福元と、「ユース出身でトップに上がることができなかった苦い過去を持つにも関わらずチャンピオンチームの鹿島から移籍(期限付)」を果たした中後の加入によって、クラブもサポーターも満足してしまい、センターラインの改善という問題に対して施した対策を客観的に評価することができなかった。
もちろん福元や中後、そして手薄なSBの枠を埋める和田たちの加入は、チームにとってプラスに作用したが、「センターラインの改善」つまり「ボスナーと下村」を「1対1の強さ」で上回りディフェンスに安定感をもたらすことができる補強ではなかった。
2008年シーズンは、この役割を戸田と早川が果たしてくれたが、戸田は残留劇の翌日解雇、早川はおそらく移籍元クラブの横浜FCとの交渉が不調に渡り獲得ができず、(確かに2人とも30代に突入し前年と同じパフォーマンスを発揮するのは難しい可能性があるのは確かだが)結果的にこの2人の枠を空けたまま昨シーズンから戦力ダウンする格好で新シーズンを迎えてしまった。
そして何よりミラー監督(当時、以下同様)が熱望していたフィニッシャーの役割を果たす選手は、ネット・バイアーノの加入が遅れたというより実質的に来なかったといっても過言ではないだろう。
近年のジェフ千葉の外国人選手の補強は目を覆いたくなる状況で、今シーズンほぼ出場することができなかったミシェウや先のネット・バイアーノなど、昼田元シニア・マネージャーが「DVDをチェックして選んだ」と公言してはばからないように、獲得のプロセス自体に誤りがあったような気がしてならない。
また、リバプールで新人のスカウト担当をしていたミラー監督の過去のコネクションを生かした補強がされるのではないかと期待していたサポーターも数多くいたが、ケタ違いの移籍金の為か最後までそれが生かされることはなかった。
2. 表面化した「プレミア流」という問題
元リバプールのヘッドコーチの言葉に、「本物」のフットボールの様式を見ていたクラブとサポーターは、多少ミラー元監督の指導に違和感があっても、飲み込まざるを得ない状況にあった。何より前年の「奇跡」の立役者だけあってミラー元監督を疑うことは難しく、多少何かが起きても黙って目をつぶらざるを得なかった。
2008年シーズンでは、自分の戦術を浸透させるため、2部練習を積極的に取り入れるなど、厳しめのメニューを選手に課したミラー元監督であったが、2009年シーズンはとにかく休んだ。試合後の日曜日と、試合の2日前を必ずオフに認め、シーズン中にも関わらず完全週休2日制になってしまった。
試合の前々日をオフにすることは、浦和レッズのフィンケ監督もエルゴラッソのシーズン後のインタビューで、「試合の前々日をオフにすることは欧州では科学的に立証されている常識」と話していたほどであるから、おそらく欧州では常識なのだろうが、完全週休2日制はあまりにも休みが多すぎた。かつてこのクラブを「休みから学ぶものはない」という言葉を選手たちに投げかけた指導者がいたとは思えなかった。
その上、チームの熟成度が高まりを見せつつあった中断期間時期に、サポーターをはじめとする周囲はキャンプを張るものと期待していたが、ミラー前監督はいとも簡単に4連休のオフにしてしまった。
そのような「練習不足」によって、結果的に選手たちは「オフ明けのコンディションのような状態」となり、たとえリードしている試合であっても試合終盤になると足が止まり失点し、相手に追いつかれてしまうという悪循環に陥ってしまった。
リバプールでは、ミッドウィークにはCLの世界で最も過酷な闘いが当たり前のように行われ、また、欧州・南米・アフリカなどから集められた世界最高のアスリートたちであればそれで問題ないのだろうが、いかんせん極東の下位チームには休みが多すぎた。
さらに悲しいことに、ミラー監督の下で負荷をかけないコンディショニングが徹底されていた為、江尻監督就任後、選手の持久力を高めることを目的とした負荷の高い練習メニューに切り替えたことで、選手たちのケガが多発するという、ミラー流コンディション調整による二次災害ともいえる事態が起きてしまった。
(後編に続く)
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